
どんなプロジェクト?
奈良を代表する伝統工芸の一つに、墨(すみ)があります。
日本に9軒ある墨工房のうち、もっとも小さな墨工房・錦光園(きんこうえん)。
「伝える墨屋」として活動する7代目の長野 睦(あつし)さんとともに、新たな墨の使い道と伝え方を考えます。
BONCHIから歩くこと10分。観光客でにぎわう奈良三条通りから横道へ一本入ったところに、創業150年の錦光園はたたずんでいます。

書道人口の減少に伴い、墨の産業は大きく縮小。需要は約70年前に比べて、1/30になりました。それに伴い、原材料や道具をつくる職人さんも減っています。
墨の新たな使い道を提案することで、墨の需要をうみ、墨の産地を受け継いでいきたい。
錦光園はその思いから、墨の商品開発と情報発信を行っています。
錦光園ってどんなところ?
入り口ののれんをくぐると、なつかしい墨の香りが迎えてくれた。
「香りも墨の楽しみ方の一つですね。」
と、長野さん。
子どもの頃はちょっと古くさく感じたけれど、今はほっとする不思議な墨の香り。
どうやってこの香りがうまれるんだろう?
「墨の原料は、煤(すす)と膠(にかわ)です。膠は、動物の骨髄や皮を原料にする天然の接着剤。独特の臭いがあるため、香りづけに樟脳(しょうのう)を使っているんですね。」
なるほど。疑問が一つ解けたところで、工房を見学させてもらう。
錦光園の建物は、細長く続く“うなぎの寝床”。奥に住まいと工房が併設されている。

工房へ入る前に、長野さん。
「ならわい、楽しみにしてます。自分の場合、一人でつくって伝えているので。どうしても頭がパンクしがち(笑)。新しい考え方がほしいな。」
参加者から提案を行う上で、錦光園さん的に“NG”ってありますか?
「一切ないですよ。バリバリの伝統産業の世界なんで、『堅苦しいんじゃない』って思うかもしれませんけど、どんどん提案してください。」
奥へ進むと、生活の垣間見える看板が現れる。

工房の入り口には、いくつも缶が並んでいる。中には、どろりとした液体が。いったい……?

「これが膠(にかわ)です。」
「暖かくなると腐ってしまうので、墨づくりは10月から5月頃に行います。」
工房に入ると、そこは墨一色だった。
電気ケーブルも、炊飯器も、はかりも。すべてが墨色になっている。

「ぼくにとっては当たり前の風景なんです。子どもの頃から、ここで父や職人さんが真っ黒になって働く姿を見てきましたね。」
ここで長野さんは、もちっとした黒いものをつかんだ。

「煤と膠を練り合わせた生墨です。これを木型に入れてプレス機にかけ、成型します。」
成型した生墨は、乾燥工程へと移る。
「どれくらい乾燥すると思いますか?」と長野さん。
うーん、10日くらいですか?
「1年から2年間かけて乾燥します!」
そんなに?
「急に乾燥させると、ひび割れしちゃうんですよ。そこで、木の灰をかぶせて、ゆっくり乾燥させていきます。」

ちなみにこの灰は、おじいちゃんの代から使い続けているそう。
大切にしていること
工房をあとにして、固形墨が並ぶ店舗スペースへ。
長野さんの話を聞いていく。

子どもの頃から、お父さんの手伝いをしてきた長野さん。将来は墨づくりを継ぐことをこっそり心に決めて、一度は就職した。
勤めたのは、東京に本社を構える英国風パブチェーンのHUB。
就職して10年を超えた頃、会社がうなぎ登りに成長していく中で「錦光園を継ごうと思ってる」とお父さんに打ち明けて、大反対にあう。
「仕事も、産地もガタガタでしたから。父はもう廃業の準備を進めてて。墨屋の命といえる木型をバンバン処分してることを知って、めちゃくちゃ慌てましたね。」

何度も気持ちを伝え、しぶしぶOKが出たのは1年後。けれど、墨屋として生計を立てるめどはついていなかった。
「うちは日本で一番小さな墨工房なんです。ブランドを持たず、他社の墨屋さんや小売店のOEMをしてきました。でも、どこの墨屋さんも年々仕事が減る一方でした。」
小売店さんへ直接売り込むことも考えたが、そうすると、他の墨屋さんの仕事を奪ってしまう。
「新たな墨の需要を生み出せなかったら、自分が墨屋を続けることはできなかったんです。」
長野さんは、自分の仕事を「墨をつくること」から、「墨を伝えること」へ位置づけなおした。

墨づくりのない時期をつかって、手当たり次第に情報発信に取り組みはじめた。
墨づくりに携わる職人さんをインタビューして、Web記事として配信する。1日1組限定で、墨のオンライン相談会を開始する。工房見学にも対応する。
「もう、企業秘密にしている場合じゃないんで。」
墨の製造風景も、SNSで公開していった。
「伝える墨屋」としての活動は、墨の香りを記憶する人たちへと届いていった。
「日本で最後の墨型彫刻師さんをインタビューした記事がテレビ局の目に留まり、番組で特集が組まれました。放送をきっかけに、色々な問い合わせや反響もあったようです。」
2022年には、クラウドファンディングも実施した。
墨の記憶を掘り起こすことに加え、墨の原体験づくりにも取り組んでいく。
「学校の書道で、墨汁を使うところが増えています。子どもたちが固形墨を磨(す)る機会をつくりたいんですね。」
学校への出張授業を行ったり、日本各地でワークショップを開催していく。今では半年先まで予約が入る盛況ぶり。

「授業をきっかけに、書道教室へ通う子どももたくさん見てきましたね。」
伝える活動はたしかに実を結びつつあったけれども、未来への投資という面が大きい。錦光園に直接収益を生むわけではない。
そのため専任のスタッフを雇うことはむずかしく、負担は増えていく一方だった。
長野さんに聞いてみる。どうしてそこまでやるんですか?
「墨の文化を守っていきたいからです。」
ならわいで取り組むプロジェクト

もちろん、錦光園としての売り上げも必要になる。そこで、墨の商品開発にも取り組んでいる。
「つくることも伝えることだと思っています。」と話す長野さん。
1000年以上、書くために存在してきた墨。第2、第3の楽しみ方を提案している。
「香り墨Asuka」は書くだけでなく、見て、香って楽しめる墨として生まれた。

煤の粒子の細かさを活かし、飛鳥時代の仮面をモチーフにしている。
また、ちょっとした書きものに少量の墨がほしい。そんな時にぴったりなのが「おはじき墨」。

こちらは、錦光園だからこそ生まれた商品といえる。
「長年発注してくださった墨屋さんも年々廃業していき、使われなくなった木型が錦光園に流れ着くようになりました。」
「何年も工房で眠ったままの木型に、もう一度日の目を浴びてほしい。小さな生墨を押しつけたのがはじまりです。」

SNSに投稿すると「ほしい」という声がたくさん聞こえてきたことで、商品化に至った。
「数ヶ月で乾燥できるから、商品化までのサイクルが早いんですね。」
新たな墨の使い方を提案することで、新たな売り場もうまれた。
香り墨Asukaをリリースすると、銀座 蔦屋書店への取り扱いが決まった。
今、第4の使い道として注目しているのが、マインドフルネス。
「固形墨を硯(すずり)ですることで、気持ちを整える人と出会ったんです。すり終えると、墨汁は書かずに捨てるそうです。」

墨汁を捨てる……アリなんですか?
「墨の需要が増えるならいくらでも!マインドフルネスを墨の使い方の一つとして、提案していくのも一つだなと思っていて。」
さて、錦光園ではどのようなプロジェクトに取り組んでいくのでしょうか。
「『墨を伝える』をテーマに、墨の新たな使い道と伝え方を、“どフリー”に、自由に提案してもらいたいんです。」
「あくまで提案の参考として」と前置きして、長野さんはこう補足します。
「新たな墨づくりには1〜2年間かかります。販路開拓の問題もあります。そのため、商品開発ありきのプロジェクトは考えていません。けれども、墨を伝える手段を考えていくなかで商品をつくった方がよい場合は、それも考えましょう。」
マインドフルネスとしての墨の伝え方を提案しても、第5の墨の使い方を考えてもよさそう。たとえば、「纏う」をテーマに、墨染めの服を提案してみる。
あるいは、長野さんの伝える仕事にかかる労力を軽くするための「仕組みの提案」も考えられるかもしれません。
いずれの提案をする上でも、忘れないでほしいことがある。最後に長野さんから。
「産地には、墨づくりに関わるさまざまな仕事があります。墨の需要をうみだすことで、墨づくりに関わる人が増えていくようにしたい。墨の文化をつなげていきたいです。」
(2023/4/13 インタビュー)